っているそこを、ホテルの方へゆっくり歩いた。ぽつりと素子が云った。
「作家がね、自分の国の言葉で書けなけりゃ仕様がないだろう?――私はそう思う」
言葉というだけの意味でなら、朝子におこっている話の場合、それは云わば先ず第一に朝子として出したことであった。日本語のわかるものがいくらもいるんだから、そんな心配はいらない。朝子は日本語で日本のことを書けばいい、と云うことになっているのであった。
「語学の条件としては、解決しているんだけれど……」
「日本語で書くわけか……日本のことを?」
「ほかに私として意味がないわけでしょう」
素子は黙っている。
日本語で日本のことを小説に書く……ここで。――その観念には、夜空にプラカードのはためく人通りのすくないこの歩道の上で、ここの生活を日本へ書いて送っていたこととおのずから違ったものとして、朝子の実感にふれて来るぼんやり居|馴染《なじ》めないものがあることもおおえない。二人は、一つのことをあっちの端とこっちの端とで考えている表情のまま、黙ってホテルの階段をのぼって行った。
三
どんな気持で、素子はあんなことを特に云ったのだろ
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