子は暫く機械的に歩いた。
 プーシュキンの立像のある並木路の切れめまで来て、そこの広さが朝子を我にかえらした。
 朝子はうつむいていた顔を初めて擡げ、一遍みたものをもう一度見直すというような眼差しで、歩道に籠をもって並んでいる向日葵の種売りや林檎売り、色紙細工の花傘の玩具を売っている黒い服の纏足した支那婦人などを眺めた。どうしても外套を引つけずにはいられないような感動はまだ去っていず、電車をやりすごす間そうやって立ち止ってそんなものを見ている自分の顔つきに動顛のあらわれていることを、朝子ははっきり感じるのであった。
 この都会に自分がのこって暮せる。そんな可能を思ってみたことがあっただろうか。西ヨーロッパを旅行して来てからは一層新鮮な理解と愛着とを感じて、謂わば胸元をおしひろげて日夜揉まれているこの人波の中に、本当にその群集の一人としてとけこむことも出来るのだというようなことを、考えたことがあっただろうか。それが、今突然、実にたやすい、むしろ当然なことのうつりゆきのようにして、朝子の前に示されたのであった。朝子と友達の素子とが、この年のうちには故郷へ向って出発するときまっている今。――
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