前ひろがりにおさえて行く人達は、同じ南方から都にのぼって来ていても、きりっとした長靴、腰のところで粋に短く裾のひろがった上衣に短剣を飾った高架索《コーカサス》の連中とは、言葉も習慣もちがっているのであった。ジョン・リードのようにアメリカから来て、この国の歴史の一頁のうちに生涯を托して城壁の中に墓をもっている男もいる。中国の娘たちの濃い黒髪の切り口は、縞の鳥打帽から肩の上へまであふれて揺れ動いている。
この頃朝子たちのホテルには、ドイツから来た一団の労働者が泊るようになった。新しく時計工場が出来て、そこへ機械とともにやって来た人たちであった。男ばかりの一団であった。夜になると、彼等が声を合わせて自分の国の言葉で、この国の若者たちが好んで歌う歌をうたっているのが、朝子たちの部屋まできこえて来た。そして、その歌の節は、朝子たちもやっぱり自分たちの言葉で歌をつくることの出来るものであった。ハンスというケルン生れの機械工の一人はいつか素子と知り合いになって、部屋へも遊びに来た。街角の大きい銀行だの役所の屋根の破風には、その経営の中で機構の清掃が行われていることを市民に告げるプラカードが目立ち始めた。
朝子は、そういう都会の生活の動きを刻々に感じながら、辞書を引く仕事の間には、自分の仕事のテーマについて考えた。
ああ、われら、いつの日にかこの歌を歌わん。いつも朝子の耳には、その文句が鮮《あざやか》にきこえて来た。そして心はその文句の上を大きくゆるく旋回しながら、次第次第に下降して、その輪が静止したところには、保の死とそれに対する自分の惜しく腹立たしく悲しい心持とが、明瞭に横わっているのであった。だが、今の朝子には、保の死というものが、歌わんとするわれらの鏡としてみればその裏の姿であることが理解されていた。歴史の浮彫にたとえれば、保の辿った路は、その裏の凹みのような関係で、云わば凹みの深さ、痛切さは、肉厚くその凹みのあっち側に浮立っている生活の絵模様を語っている筈なのであった。朝子の心の輪のしぼりは更に小さく接近して、その絵模様をさぐろうと試みるのであった。が、それはいつも平面的な図取りとして、朝子の心に映って来るばかりであった。図取りの全部が見えている。そっちに見えている。だが、その図取りに自分が体で入って描き出している線というものはなかった。
新しく瞠られた探索の目を
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