解決している。薪を集めることから焚くことから、子供の世話をすることでも何でも、みな女の人が自分の体で解決しなければいけません。ところがアメリカのような国になると、電気とかいろいろな社会設備が発達しているから、家事的な労働の大部分は公共的な簡便さで解決される。つまり、たった二ドル位で電話がひけるとか、ガスや電気が大へん安い。だから電気で洗濯して電気でアイロンをさっさとかけて電気で料理をして、かたわらでラジオを聴いて勉強していられるというように、同じ一時間でも立体的な一時間になってくる。同じ一時間でも私共は薪を割ったり何かして一時間たってしまうでしょう。この問題を身につけたところでは、同じ一時間でもその内容を豊富にして一時間を働くことができる。ところが社会主義の民主国になりますと、その一時間というものの社会的の意味がかわって参ります。つまり資本主義的民主主義の状態の時には、そういう目のさきの便利はすべての女の人がもつことができますけれども、しかし根本的に先程申しましたように働かさすものと働くものがございますから、いつ馘《くび》になるかわからない。競争者はうんとある。自分よりもちょっと腕のよ
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