解決している。薪を集めることから焚くことから、子供の世話をすることでも何でも、みな女の人が自分の体で解決しなければいけません。ところがアメリカのような国になると、電気とかいろいろな社会設備が発達しているから、家事的な労働の大部分は公共的な簡便さで解決される。つまり、たった二ドル位で電話がひけるとか、ガスや電気が大へん安い。だから電気で洗濯して電気でアイロンをさっさとかけて電気で料理をして、かたわらでラジオを聴いて勉強していられるというように、同じ一時間でも立体的な一時間になってくる。同じ一時間でも私共は薪を割ったり何かして一時間たってしまうでしょう。この問題を身につけたところでは、同じ一時間でもその内容を豊富にして一時間を働くことができる。ところが社会主義の民主国になりますと、その一時間というものの社会的の意味がかわって参ります。つまり資本主義的民主主義の状態の時には、そういう目のさきの便利はすべての女の人がもつことができますけれども、しかし根本的に先程申しましたように働かさすものと働くものがございますから、いつ馘《くび》になるかわからない。競争者はうんとある。自分よりもちょっと腕のよいタイピストがあれば自分は馘になります。いつも根本的な生活の不安に脅かされているわけです。ところが社会主義的な民主国になりますと、銘々の健康に差別があるように銘々の能力には差別があります。それが差別がありながら、銘々が全力を尽して安いよいものをつくってゆく。人を使うのにも安くてよい人を使おうという競争がない。なぜないかといえば、人間は生きる以上は働く権利があるのですから、働く権利が根本的に守られていれば、自分の能力を良心的に十分働かせてゆけば、その社会から働いているものという意味で、養老保険も失業保険も健康に対する保険も、母性保護のいろいろな設備、つまり村の産院、工場のなかの無料産院のような母性保護も十分に行われるわけです。ですから自分達の力でつくった自分達の本当の民主主義的な社会のなかにあっては、その人が生きているということに当然ついてくるたくさんの権利が具体的に現われてくる形でそこに解決せられているわけです。今日、日本で民主主義ということをいい、民主化ということを非常に大事に考え、あなた方にしろ、理窟はともかく民主的なものになることを心から希望していらっしゃいます。その希望がなぜそ
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