、今日のような恐ろしい物価のなかで、家庭に帰るといっても、一つの戸棚をあければ食べるものがぞろぞろ出てくる魔法のようなものをもっていらっしゃるなら別ですが、そういうものは世の中にないと思います。ところが半封建的な日本では婦人は表面では勘定しない。もちろん労働力としては勘定する。明治の紡績とか戦争の間にも女はどんどん働かされましたけれども、失業の時には勘定しておりません。けれどもブルジョア民主主義、つまり資本主義民主国では、やはり女の失業も失業者の数のなかに入れております。婦人が失業したら母性の痛められ方が男性よりひどい。男は土方をしても労働できるけれども、女の人は売笑婦になる。そういう道徳的頽廃を起すから女の失業者の問題を解決しなければならないけれども、社会的解決は資本主義的民主主義ではできません。だからある点ではこれらの民主主義社会は、すべてのものの幸福のためにつくられた社会であるといわれているけれども、その内部では働かすものと働かされるもの、婦人と男子の間には、幸福と不幸の開きが決定的にあるわけです。
今日の地球の面では、面白いことにはそのような矛盾を何とかして解決しなければならないという努力がされておりますが、その国の天然資源の豊富さ、土地の大きさ、人口の多さ、今までもっていたその国の社会の歴史のいろいろな必然的な動きから、たとえばソヴェト・ロシヤのようなところには社会主義的な民主主義が発達しているわけです。社会主義の民主国というのはどういうことかといいますと、今の一番根本の経済問題を解決しております。みなが五時間働けばすむだけの生産能力があるならば、五時間だけ働いて五時間で暮せる賃金をはらって、あとの五時間、或は二十四時間のうちの残りの十九時間というものは、みなの社会活動のために、本の勉強のために、医学の勉強のために、工場で働いているものも技術家になることができるように、小説家になることができるように、或は女の人ならばいつか自分が希望しているような音楽家になることができるように、人間らしくすべての希望を貫いて社会の活動と生産の働きと結びつけてやってゆこうという社会もできているわけです。
そこでその三つの社会をひとりの女の人の上にあてはめてみると面白いのです。たとえば半分封建的な今の日本のような状態ですと、家庭のいろいろな負担というものは女がみな自分の体で
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