かに、いわゆる久遠の幸福を感じようとする。だから、幸福とはどういうものかという問いに答える人々の言葉は実に区々で、ある人は幸福とは各人の主観でだけ感じられる一つの心境であるというし、他のある人は、最低限の衣食が足っていれば幸福であるとし、第三のひとは、健康こそ幸福であるというであろう。神の恩寵を感謝する心という宗教の心を、幸福の内容としている人もある。
この現象から、よく人は、幸福は本人が幸福と思うことのうちにのみあるもので、それがなにの中にあるかということは問題にする必要はない、という。
ところで幸福というものは一体私たちの生活にどんな形で存在しているものなのだろう。幸福は普通私たちに感情として湧いて来る。幸福感という表現がある。心情的な感じであるから、それは固定したものではなくて、私たちの日常のあれこれをかいくぐって流動しているものである。今感じられた幸福感も三時間のちには消されるということもある。何によってそれは導き出され、消されるだろうか。自分の内と外とのあらゆる生活要素のあらゆる角度からの接触のあらゆる刻々の移り動きが、私たちの幸福感を誘い出し、また追放するのだと思う。そして、私たちの生活の諸要素は、誰しもよく知っているとおりめぐりあった社会の歴史として時代性をもっているし、個人的な条件としての境遇や性格なども、その複雑な要素をなしている。複雑なそれらの要素は夜も昼も停止することのない生活の波の上に動いているわけで、私たちはその動きやまない生活の閃光のようにおりおりの幸福感を心の底深くに感じる。だけれども、その感じは大体感覚の本性にしたがって、ある時が経てば消える。
この動的な生活感情の明暗の推移を、昔の日本人は、人間の心のはかなさと見た。現代の人はそうは見ていない。しかし、感覚的なものとして過ぎてゆく性質の幸福感が、何かそのひとの生活力の一部にまで摂取され、何かその人をささえる生活上の確乎とした力となり、精神に精彩を与えるものとなるには、ただ湧いたり消えたりする幸福感ばかりを追って、その条件を作ろうとせわしく眼を配っていて求め得られることでない。それは明らかであると思う。
私たちが、人間として生活の糧となるような幸福感を見出そうと思えば、日常生活の刻々に湧いたり消えたりする幸福感そのものを、更に生活の悲しみや苦しみと一緒にひっくるめて感じてゆく、ひろくゆたかな雄々しい心情がなければならないというのは、何と興味ある点だろう。
つよくよろこぶ心、つよく悲しむ心、つよく憤ることのできる心、そういう心は豊かな心である。そういう心は幸福感もつよく感じるが、その幸福感のそこなわれる感じもきつく受けるであろう。真のゆたかにつよい心は、自分のよろこびの感情も、悲しみの感情も、悲しみは幸福でない感情の面だからいやだときりすてず、そのよろこびをかみしめて味い、悲しみをかみしめて心に味うことから、やがて、自分の心がよろこび悲しむ人間生活のさまざまのいきさつの面白さを理解するところにまで到達する。
代々の人間がそれぞれの時代の環境の中で、常によりましな生活を求めて生きていて、その過程で敗北し、成就し、自分もそのうちにまぎれもない一人であるということの避けがたい辛さとともにある否定できない面白さ。幸福というものが、案外にも活気横溢したもので、たとえて見れば船の舳が濤をしのいで前進してゆく、そのときの困難ではあるが快さに似たものだといったら昼寝の仔猫のような姿を幸福に与えようとしている人たちは非常にびっくりするだろうか。
人生に何か一定の態度をもって生きている人たちが、幸福をどこかでしっかり感得しているように見えるのは、以上のような理由によるのだと思われる。現代の生活は複雑で、幸福もそれをこわす条件も四方八方のつながりのうちに生かされて変化を受けつつあるのだから、今日私たちが、現実の前で膝をついた形でなく、現実の上に美しく健気に立った形としての幸福を獲ようとすれば、自分の生まれ合わせた社会と自分とについてのきわめて広い明晰な把握がなくてはならなくなって来ている。自分たちの不幸を底まで理解して、それを堅忍し、克服してゆく気魄がなければ、幸福感を味うことができにくい時代に来ているのである。破壊の行われているときにもやはり人類の幸福のために続けられている努力があって、それはどこにどんなに行われているかということを見きわめる力が求められて来ているのである。
若い女のひとは、どっさりいろいろの文学作品を読んでいる。彼女たちは、どんな風に文学を読むのであろうか。女のひとが、特に幸福というものを何か波瀾のそとのもの、悲しみの外のものと固定させた形で追求していることについて疑問が生じたとき、私の心にひきつづいて起った問いはそれであった。女のひ
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