る。男の子とのつき合いは、小市民の家庭の中で娘たちが映画で見ているように音楽的に又流動的には行われ得ない実状に在る。日本の封建性は、我々の日常生活を案外に重くしめつけているのである。男の子との自然で暢《の》び暢びした交渉が行われれば晴れやかに放散される筈の感情が、周囲の事情によって我知らず偽善的に鬱屈して妙に同性愛的傾向をとるのであろう。或る場合、この心理的動機は当事者である娘たちに自覚されていないことが多いのである。
さっき触れた朝日新聞の諸家の見解の中で山脇高女の先生である竹田菊子氏が、男装のレビューガール等を慕うのは「この頃は昔と違って結婚年齢がおくれているから、結婚まで一つの遊戯をしようと考えているのではなかろうか」と述べていられるのは、現実の或る心理を捕えていると感じた。竹田氏は、その対策として「家庭などがもっと高尚な趣味の方に導くようにしてやって欲しい」と親切に忠告しておられたのであるが、その息子や娘が婚期をおくらさざるを得ないような経済状態にある今日の大多数の家庭で実際上どんなより高尚な趣味を養ってやり得るであろうか。例えばヴァイオリンの有名な教師モギレフスキイの一ヵ
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