帥山川均氏をはじめ、親類の男の誰彼が特殊な事情でそれぞれ女のする家のことをもよくするということで、すべての男性というものを気よくその中へ帰納してしまい、最後に到って飄逸たらんと試みられたものか茶気満々な文体で「たしかに女は家庭の女王である。さればこそ」「女王は女王らしく泰然として一家に君臨し、悠然として(主人とか子供とかいう家庭の人民階級に)奉仕されているのこそ身分柄定められた掟でもあり云々」と「繊手に爆弾をとりあげては見たものの」投げる対手はないことになって「時津風枝も鳴らさぬ平和主義」の主観的女権尊崇の栄光を讚していられる。
私が感想を刺戟されたのは、この文章で山川菊栄ともある婦人が、問題を個人的な自分を中心としての身辺観察の中にだけ畳みこんでみずから怪しまれない点であった。柳原※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子氏の玉の井ハイキング記に連関してその文章が私の心に浮ぶのも、社会の現実を見る見かたに二人共通な個人的な、どちらかというと自足的な匂いが強くあるからであろうと思われる。
柳原※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子氏は何のために伊藤伝右衛門の赤銅御殿をすてた
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