れて行ったとすれば、それとして心理の動機はどういうものなのだろうか。
 丹羽氏の場合、私たちの記憶には「或る女の半生」その他のいわゆる系譜的作品の主人公を常に女性において来たこの作者の現実への角度が甦って来る。現実の推移をその受動性のために最もあからさまに映してゆく女性が、系譜的な作品にとって、てっとりばやい主人公とされていたことに、この系列の文学の弱さが語られた。系譜的作品が時代と人との意欲から生れる発展的な生活の物語とならず、いわば流転譚の域から脱し得なかった理由がここにある。
 風吹けばそよぎ、雨ふればそれなり濡れそぼたれた女主人公の姿が、今は、眼の隅で周囲を細大洩らさず見とおしながら、そのようにそよぎ、濡れそぼつことからさえ依估地に身をひく一人の老人に代ったとすれば、それはどういう現代の心理の徴候と見るべきだろう。
 火野氏の「土鈴」にある問題は今日の歴史小説の課題の或る面にも通じている。世代の善意にはいつも幅がある、それをどこから掴むかという点で。

 これらのことが心にひっかかって来るというのも先頃高見順氏が獅子と鼠との喩えばなしで非力なるものとしての文学の力ということを書
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