をもっているのであるけれども、そこにかの子さんという人が出て来ると、一目でわかったものの代りに、何だか分るのだけれど分らない気がする。あすこだな、と内部的にぴーっと一致する点が見つからないのである。作品が人に溶けず人が作品にとけ出して来ない。かの子さんの色彩強烈な肉体のまわりに色彩強烈な作品が、空間をもって林立してでもいるような感じで、一言話せば作品の世界がじかに触れ開けて来る感じでなくて、何か苦しかったのである。
一平氏が妻であり芸術家であったかの子さんへの追想として書かれた文をよんでも、そういう私の分らなさは、わかったものとならなかった。
それにしても、このわからなさは何なのだろう。私だけの心持で、その一筋を追いつめてゆくと、悲しさに通ずるものが心に湧いて来るのである。[#地付き]〔一九三九年五月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
1952(昭和27)年10月発行
初出:「中央公論」
1939(昭和14)年
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