暮しは、現在の日本では、まだまだ封建的な伝習の中につながれている。その見とおしに向って、一定の希望をつなぎ、常識に順応し、自身をよくしてゆくこと、ひとに使われるもの、命令をされるもの、夜昼よく働いて主人の昼寝を安らかならしめるために、よい[#「よい」に傍点]者としての自分の前途を明るく眺めることは、はたして彼ら少年にとってたやすいことであろうか。
最近ソヴェトの若い労働者の作家、アヴデンコというひとが書いた小説「私は愛す」が翻訳されて、ナウカ社から発行された。
これも小説の技術からいえば、さまざま批評の余地がある、完成した様式をもっているとはいえない作品なのであるが、その中には、この「新しき塩」に描かれているものとは全く対蹠的な社会的事情――感化院の教師と少年らの関係の内容の緊密さ、愛情、教化の方法すべてを貫いて温く流れている社会人としての共同感情が、単純にそれゆえ一層感動的に描かれているのである。
主人公となっている労働者の息子サーニが、優秀な機関手となり、コムソモールとなる迄の生活は、浮浪児の一人として波瀾重畳であり、社会的な犯罪にさえも近づいた時期があった。国内戦時代のこ
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング