を見たのである。

 そもそも、現在の感化院というのは、いかなる人間的生活を目標において、不幸な、性格の弱い、均衡の失われた少年らを、感化してゆこうというのであろうか。答えは、比較的簡単に、かつ明瞭に、出されているのであろうと思う。人格のある、勤労をこのむ市民に養い育てるのが当院の目的であると。この答えに対して、少年らの胸中には、おのずから別な訴えと自棄とが活きて、羽ばたいて、彼らを、脱走へそそり立てるのではないだろうか。それなら、この社会では、誰でもみんな勤労しているのか? 働けば働いただけきっと幸福になっている世の中だとでもいうのか? 加えて、少年らの心の中には、いったん不良児として銘をうたれ、すべての行動のかげに、いつも何をしても、いわゆるよくない[#「よくない」に傍点]動機だけをさぐり出されなければならないことに対して、我とわが身を破るような人間性の苦しみと悲しみと、訴えるにはくちおしい[#「くちおしい」に傍点]大人の世界への反抗が燃えているのであろう。
 感化院では、よくなったと認められる少年たちを小僧や徒弟に出し、この世で一本立ちになる修業をさせるのであるが、小僧、徒弟の日
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