作品と生活のこと
宮本百合子
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(例)[#地付き]〔一九四七年七月〕
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あるところで、トーマス・マンの研究をしている人にあった。そのとき、マンの作品の或るものは、実に観念的で、わかりにくくて始末がわるいものだけれども、一貫して、マンの作家としての態度に感服しているところがある。それは、トーマス・マンはマンなりに、自分の問題を自分のそとにとり出して作品としての客観的存在を与え、それを真剣に追究して行って、作品の世界で到達した点まで自分の生活を押し出し、そこから次の生活を展開させようとしている点だ、という意味を話された。
トーマス・マンの「魔の山」などは、わたしによくわからないし、親しめない。けれども、マンがそういう風に自分の人生と文学との関係を生きているという話は、よくわかったし、本当だと思えた。その話をした研究家は、マンについてただそういう感想を語ったのではなく、日本の現代文学に、作品と作家の生活との間にそういう生きかたが見られないのは残念だという面から出た話なのだった。
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