がこの小説であった。小説らしい形にまとまった最初の作品であった。一九一六年の夏のはじめに書き終ったが、誰に見せようとも思わず、ひとりで綴じて、木炭紙に自分で色彩を加えた表紙をつけた。けれども、しまっておけなくて、女学校のときからやはり文学がすきで仲よしであった坂本千枝子さんという友達が、白山の奥に住んでいた、そこへもって行ってよんで貰った。その友達は心からよろこんでほめてくれた。次に、母にみせた。丁度、夜で、もう母は小さい弟と床の中にいた。そこへもって行って、よんでおいて、と云った。一二時間たって、もう自分がねようとしていたら、わたしが机を置いていた玄関わきの小部屋へ母が入って来た。母は感動していた。そして、涙をおとした。
「農民」という題をつけて書いたその小説は、やがて父が紹介者をもっていたという関係から私の知らないうちに坪内雄蔵氏のところへ送られた。そして、中央公論に紹介され、そこに発表されることにきまった。坪内雄蔵氏の注意で、二百何十枚かあったところを百五十枚ほどに整理し、かなづかいや字のあやまりを訂正した。題をそのとき「貧しき人々の群」とつけ直した。
今日よみかえしてみると、
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