作家への課題
――「囚われた大地」について――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)確《しっか》り
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)※[#「◯」の中に「金」、屋号を示す記号、187−14]
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偶然のことから、私は「囚われた大地」がまだ発表されず、あるいはその原稿も小部分しか書かれていなかったと思われる時分、平田小六氏と知り合う機会を得た。そのころ平田さんは、日本にはまだ農民の生活を如実に書いた文学がすくないということに注意を向け、日本のような経済的社会的事情を持つ国にとって、実は農民の生活を文学に書くということが非常に大切ではないか。一つ自分は、これまでプロレタリア作家が好んでとり上げたような闘争に高まった意識的な農民の姿だけを切りとって来ず、彼らの背後にひきつづいている現在のおくれた何千万という土百姓の生活と感情とを書いて見たいと思う、という抱負を話された。
私は平田氏のこの文学的野心の内にふくめられている社会的な意味を理解し、それからは折りにふれて会うごとに、まさに誕生しようとしているらしい長い小説の安否を訊ねるようになった。
いよいよ「囚われた大地」が一部発表された。前後して社会主義リアリズムの問題が、それらのすべてが正鵠を得ているとはいえぬさまざまの理解の方向をもって提唱されはじめた折から、作品は複雑な社会性を反省しつつ一般の感興を呼び起し、華やかな登場の拍手をもって迎えられた。
今度改めて単行本として完成された「囚われた大地」を読み、私は作者の努力をやぶさかならず買うと同時に、種々の感想にうたれた。
作者は、一通りこれを書き終った今日、最初の着実な計画、農民の生活を描くという重大な目的にふりかえって、どのような感想を持つであろうかと思ったのである。
この八百枚余の長篇小説の舞台として津軽のとっぱな十三潟附近の寒村がとりあげられている。程ケ谷の紡績工場から故郷のその村に向って汽車にのっているヨシノとサダ子につれられて、二人の娘の気質の相異を理解しながら、読者は次第に北国へ向い、やがて峯子に出会ってA村に入ると、そこには、貧農の息子でのちに急進的に行動する清司、動揺する地方の人道主義的インテリゲンチアである小学教師の木村、窮乏による放
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