火犯の息子であり、A村での農民組合組織者である与作などが、われわれの前面に押し出されて来る。
 作者が、北のはずれの野地にかこまれた小寒村にさえも、生きている農村の人間のさまざまのタイプを描こうとして、馬喰兼太、阿部、サダのおふくろなどをとらえている意企は明瞭である。
 然しながら、それらの個々の人物とその行動とをいきいきと生かし全篇の背景となるところのA村全体の生活は、どうも、まとまった現実感をもって読者の腹に入って来ない。
 それぞれの人物と人物との横の関係についても、作者は説明しているのであるが、作中の人物と読者の感情に訴えてくる現実のものとして確《しっか》りからみあってつかまれていない憾みがあり、縦にA村全体を錯綜した利害関係によって喜愁せしめている経済情勢と各人物との関連を見ると、作者は当然ところどころでそれにふれているのであるが、まだ作品の大きさが必要とするだけの真実感をもって追求されていない。そのために、全篇を通じて章から章へと並列的にとび、読者の心に期待される急所をはずしたまま通りすぎているような印象を与えられるのである。

 作者が二十章のところで、木村の一つの経験として僅か数行で説明しているA村の地主二人が二大政党に分れて対立し、それにつれてA村の村民も二派にわかれていること、※[#「◯」の中に「金」、屋号を示す記号、187−14]を次第に蚕食しつつある新興地主※[#「仝」の「工」に代えて「二」、屋号を示す記号、187−15]とその強慾な番頭下山、地主の変るごとに戦々きょうきょうたるA村の小作たち。清司や与作を含むA村の農民の生活にとって、こういうさまざまのいりくんだ関係はどんなに日常の制約となっているか、米作と炭やきと日雇稼ぎとはA村の全生活でどういう組合せになっているかというようなことが、じっくりと全篇の基調としてとりあげられたならば、部分部分の活気ある描写も根の深い実感をもって迫って来たであろうと思われる。
 もっとも、もしこういう立場から村とそこの人々とを掘りきわめるとなると、作者は全く別な、もっと立体的な構成の方法をとらなければならなかった。
「囚われた大地」の、どちらかというと自然発生的な構成の方法はA村をつよく作者が手もとによせて引つかむには不便な方法であり、また逆に作者によるA村のつかみかたが、この構成の方法に反映しているとも見ら
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