世紀においてその基本を文学認識の中に確立している。日本は、いく久しい封建の社会生活の間に、文学はいつもある意味で人間性の流露をもとめるその本質にしたがって、苦しい現実からの脱出であり、主情的ならざるをえなかった。自然主義の流れさえ、日本文学の伝統の岸にうちよせれば、それはおのずから変化して、次の世代へ進展するべき最もつよい要因である人間社会現実の剔抉という剛情なきっさきを失った。作品の客観的な批評という今日での常識さえ、その時分は平林初之輔によって「外在批評」というような表現で提起されるありさまであった。文芸批評はそのころすべて主観に立つ印象批評であったから、在来の日本文学の世界の住人たちの感情にとって、プロレタリア文学理論とその所産とは、自らも住む文学の領域内での新発生としてありのままにうけとられず、文学の外から押しよせてきて、文学にわり込んできたもののようにうけとられた傾きがある。一部から侵入者と見られた。それほど、日本の旧来の文学者たちは、自身の文学の限界について自覚がなかった。いいかえれば自身発展の意欲を欠いていた。したがって保守たらざるをえない。
 一九三二年に、国際情勢に関
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