十分の多様性と多産な成果とを求めるのである。
芸術の根蔕《こんたい》はリアリズムである。どんな幻想的創作でさえも、それが幻想としてありうるためには幻想のリアリティーを欠くことは不可能である。人間というものが本格的にリアリストであり、芸術の根蔕がリアリズムであるからには、作家として現実を真にその活き動く関係のままに把握しうる眼としての世界観、史的唯物論に立つ現実のみかたと、そこからのリアリズムを求めるのである。
現実を、その動的関係の中で把握しては、詩としての美が失われるのだと主張する人がある。そういうものだろうか? ほんとうにそう思うといえるのだろうか? 一九四五年の春、世界をどよもした叙事詩は、その人にとって美でなかったとすれば愕くべきことである。少くとも一人の作家たるわたしは、四五年の四月、五月において、現世紀の主題が、いかにその積極において捕えられたかということについて、腹から諒解した。十数年昔から、わかったようでわからなかった文学における主題の積極性の問題は、女として妻としての生きかたからいくらかずつわかってきていたが、四五年の五月、それは新世紀の勝利として理解されたのであ
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