ア革命をなしとげながらその過程で社会主義的な民主主義にうつりゆく新民主主義であるという本質が、文学にも生きてきているのである。
今日、日本の民主主義文学は、暗い旧い世界へたたかいを挑んだヨーロッパの十九世紀末の精神から、現実に進展している社会主義社会への展望までをその領域にふくむものである。新日本文学会の大会が、プロレタリア文学の面だけをとりあげなかった理由は、これでうなずけるであろう。日本では、ブルジョア文学さえも、西欧的な意味では結実していなかった。さもなければ、文化人、文学者が、民主主義の展望の具体的要因として、どうして今日のように、個人の確立を問題とし、苦悩し、ある意味で混乱して迷路にさえひきこまれる現象が起りうるだろう。この一つの文学における基本的な課題にしても、人間らしき歴史性は、わたしたちに、独特な日本の解きかたを求めている。一人の市民が勤め人として勤め先の機械性、非人間的仕くみに苦しみ、人間として自分の一生をしみじみと思いめぐらすとき、昨日までのわたしたちの文学は、その苦悶を限度として止らなければならなかった。けれども、今日、その勤人はおそらく組合をもっているであろう
前へ
次へ
全27ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング