され、なっとくを深める機会を得ずにきている。日本のプロレタリア文学運動が兇暴な嵐に吹きちらされた一九三二年以来、当時、未熟なら未熟なりの誠実さで論じられていた諸課題が、討論されている最中であったその姿のままで、ちりぢりばらばらに今日文学のあちらこちらに存在している。文学における世界観の問題、主題の積極性の問題、社会主義リアリズムの問題などは、すべて以上のようななりゆきに置かれている。
民主日本への歴史的な転換は、当然文学にも新しい窓をひらいた。民主的な文学という欲求がある。しかし、今日のごく若い文学の働き手、または今日読者であるが未来は作家と期待される人々にとって、民主の文学といっても、なんとなしいきなりつき出された棒のような感じを与えるのではないだろうか。若い世代は、その人々の怠慢によって知らなかったのではなく、暴力によって現実から遮断され、学ぶことを奪われていた一時期をもっている。人生について、社会の歴史の動きについて知らされなかった時期は、文学についてもまた知らされなかった多くのことのある時期であったのだと思う。
いわば茫然として新しい文学という、その新しささえ明確にはつかめ
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