あったのだから。そのために、日本の社会発展の歴史のこまかい具体的な特徴について、いちどきに、はっきり理解することが不可能であった。フランス、イギリスその他ヨーロッパ諸国のとおり、日本も明治維新によって、ブルジョア革命を完成しきった近代市民社会になっているのか、あるいはそうでないかという点について、大論争が行われていた。山川均を中心とする労農派は、明治維新によって日本のブルジョア革命は完成された、とした。日本の社会の封建的な諸要素は消滅して、天皇制は本質的になくなっているとした。これとは反対に『無産者新聞』や雑誌『マルクス主義』による市川正一、徳田球一その他の人々は、明治維新の未完成を強調した。日本の社会機構に根づよくのこっている半封建的要素と天皇制支配の非近代性を指摘した。
 日本の特殊性について、大切なこの論争がさかんに行われていて、まだ一定の決定を見ないうちに、ソヴェト同盟の社会主義の前進につれ、ドイツをはじめアメリカ諸国の革命的要因の高まるにつれてどんどん進むプロレタリア芸術の理論が、日本へも幅ひろい潮として流れこんだ。それは、すでに過去の歴史のなかでブルジョア革命を完成して、明瞭にブルジョアに対立する段階に立ったプロレタリア階級の芸術理論である。日本の細いながら雄々しい民主的文学の伝統は、この時期に後進国らしい飛躍をして、先進世界のプロレタリア文学理論をうけ入れ、影響され、それに導かれて動き出したのであった。
 こういう深い根源をもつ日本文化・文学の後進性については、おそらくその当時さほど注目されなかったのだろう。しかし、その後治安維持法が改悪され、日本の侵略戦争が着手され、拡大されてゆく社会波瀾の裡で、プロレタリア文学とその理論とがめぐりあった悲劇と、この後進性とはきわめて重大に関係しあった。いまわたしたちは、はっきりとそれを見るのである。
 小説として「蟹工船」「太陽のない街」「三・一五」「鉄の話」「キャラメル工場から」「施療室にて」などが生れ、プロレタリア文学の理論は、当時国際的な革命的文学運動の課題となっていた唯物弁証法的創作方法の問題、世界観の問題、前衛の文学の問題などをとりあげた。
 西欧の諸国では、彼らの文化が全体として市民社会の経験をもち、自身の発展の推移において、封建的文学とたたかい、それを克服してきている。文学の社会性についての理解は、前
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