世紀においてその基本を文学認識の中に確立している。日本は、いく久しい封建の社会生活の間に、文学はいつもある意味で人間性の流露をもとめるその本質にしたがって、苦しい現実からの脱出であり、主情的ならざるをえなかった。自然主義の流れさえ、日本文学の伝統の岸にうちよせれば、それはおのずから変化して、次の世代へ進展するべき最もつよい要因である人間社会現実の剔抉という剛情なきっさきを失った。作品の客観的な批評という今日での常識さえ、その時分は平林初之輔によって「外在批評」というような表現で提起されるありさまであった。文芸批評はそのころすべて主観に立つ印象批評であったから、在来の日本文学の世界の住人たちの感情にとって、プロレタリア文学理論とその所産とは、自らも住む文学の領域内での新発生としてありのままにうけとられず、文学の外から押しよせてきて、文学にわり込んできたもののようにうけとられた傾きがある。一部から侵入者と見られた。それほど、日本の旧来の文学者たちは、自身の文学の限界について自覚がなかった。いいかえれば自身発展の意欲を欠いていた。したがって保守たらざるをえない。
一九三二年に、国際情勢に関する国際的な研究結論が発表された。それによって、日本のブルジョア革命は未完成であることが結論された。天皇制支配、土地関係その他封建的資本主義の国である日本は、明治維新において、ブルジョア民主主義を確立しえていないことが明瞭に示されたのであった。
この三二年に、日本はみずからの社会をそのようなものとして客観的に見いだしたと同時に、ソヴェトの第一次五ヵ年計画によって自然ひき出されてきた社会主義的リアリズムの問題をうけとった。さらに、この年の春、日本の急進的文化団体への大規模の暴圧があり、治安維持法は政党以外の大衆的な団体も同列に罰することになった。
この錯雑した諸事情がからみあって、どんな紛糾を生じたかは誰にもよく想像されるであろうと思う。社会主義リアリズムの問題はそのものとして、治安維持法の改悪からひきおこされたさけがたい恐慌は恐慌として、率直明白に別な二つの問題として取扱うところまで、当時のプロレタリア文学者たちは社会人として、理論的に成熟していなかった。悪法によって恐慌する人間の自然なこころを、そのまま主張するのが、階級的な文学の声であると知るところまで、文学的に成長もしていなか
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