瞭な指導性をもつ文芸思潮というものが退潮して後、しかも今日では被うべくもない文化に対する統制が次第に現れようとする時であった。森田たま氏の「もめん随筆」などが目前の興味の対象となった時代である。科学者の随筆が求められたのも、独特な科学随筆を要求されたのではなくて、ああいう人がこういうものを書く式の興味によってもとめられたのであった。
 従って、科学者の随筆は、所謂科学的な態度ではない文学的と思われる方に傾き、そのことでは自覚されない底流で、科学精神の分裂を許したとも云えないことはない。文学そのものが客観的現実に対する眼光の確かな洞察力を失い、創造力の豊かな社会的地盤を失った時、よりイージーで小規模な人生と芸術への主観的角度をもつ随筆の流行を見るのであるから、この意味で科学者の無方向な随筆活動への参加は二重の力で文化を下り坂に押す結果にさえなるのである。
 探偵小説の面白味というものの真髄はどこにあるのであろう。そして、外国ではどうか知らないが、何故日本では医学方面の専門家が、この探偵小説を執筆するのであろう。法医学的な分野で接近があり、心理学、神経病理学とのつながりがあるからなのだろう
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