のである。文学的才能、音楽、絵画の天分が、強い透明な焔で科学的天稟の間に統一され切っているのではない。寺田氏は、豊富な自分の才能のあの庭、この花園と散策する姿において、魅力を感じる人々に限りない愛着を抱かせているのである。
 チンダルのアルプス紀行は、科学と文学との関係で、寺田氏とは異った典型であると思う。チンダルは科学者の心持で終始一貫して、その科学精神の勁《つよ》くリアリスティックであることから独特の美を読者に感じさせる。所謂文学的な辞句の努力や文学的感情と云われているものやへの人為的な屈折なしに、すっきりとした高い人間らしい美を示している。科学者の文筆活動の示し得る望ましい美は、こういう統一の姿においてではなかろうか。今日の科学の可能と明日の科学のために未だのこされている客観的現実の豊饒さ、科学的方法が年から年へ進歩する行進曲の意味を心と身にひき添えて科学者たることを生きる歓びと感じ得る科学者。科学的探求を、云うところの学問として静的に見ず、社会と歴史とに働きかけ又それらから働きかけられつつ動く人間的行為、実践として科学を把握する科学者。これから益々そういう科学者が生れなければならない。
 今日我々がうけついでいる文化、感情、知性は、社会の歴史に制せられてその本質に様々の矛盾、撞着、蒙昧をもっていることは認めなければならない事実である。科学者が科学を見る態度にもこれをおのずから反映している。特に、今日の科学では未だ現実の諸現象のあまねき隅々までを、すべての人々の感情に納得ゆくように解明し切らない部分がのこされていることが、科学者自身の生きかたにさえ妙な信念の欠乏と分裂とをおこさせている実例が決して尠くない。この分裂において、ヨーロッパの科学者は多く昔ながらの神へ逃げこんだ。日本の科学者は主観的な天の観念或は日常的な人情のしがらみに身をからめた。科学的精神の発展の路は困難をもっていて、歴史の種々な時期に迷信と闘い、誤った国粋主義と闘い、同時に自身の制約とも闘って今日に及んで来ているのである。
 日本の科学者の心持は今日どのような状態におかれているのであろうか。非常に複雑な問題であるが、明治、大正の時代から見れば、科学者に自覚されて来た社会意識の点で、今日はやはり特徴ある一時期であると云えると思う。さて、日本の科学者は上向線を辿っていた経済、政治、文化の波頭におさ
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