、はじめと終りの脈絡が書いているうちに自分でもわからなくなるような時があるとかこっている。然し今日のわたくしどもは、却って退屈なダアウィンの方が、ファブルより科学の本としては却って親しめるのである。ここに科学者によって考えられている文学的なるものの微妙な問題がかくされていると思うのである。
科学は理性の主動するもの、芸術文学は感情、感覚が主として発動するものという簡単な区分の方法は、今日科学者の理解からも文学者の理解からも、もう少し複雑に、所謂《いわゆる》科学的に高められて来ている。ファブルなどの時代では、文学に於ても十分問題である擬人法のロマンチックな色彩の横溢が、文学的[#「文学的」に傍点]であるとして考えられていたらしい。冷たい、理知だけの操作でない、対象との人間らしい共感においての観察という点の強調が、虫に頬かぶりをさせたり、草叢のアパッシュたらしめたりした。ファブルの伝記者は、アナトール・フランスがファブルの文章は悪文であると云ったということをおこっているが、今日の第三者は、フランスはやはり文学の正道から見ての真実を云ったと思わざるを得ないのである。
科学と文学の交流
よく科学者に珍らしい詩人的要素とか審美的な感覚とかいう表現が、一つの讚辞として流用されている。故寺田寅彦博士の存在は、文化の綜合的な享楽者または与え手という意味で、多数の人々の敬愛をあつめている。絵も描き、文章に達し、音楽も愛し、しかも音楽(セロ)の演奏ぶりなどにはなかなか近親者に忘れがたい好感を与えるユーモアがあふれていたようである。日本の明治以来の興隆期の文化は、夏目漱石でその頂点に達し同時に漱石の芸術には、今日の日本を予想せしめる顕著な内部的矛盾が示されている。
寺田氏の文化性というものも、日本のその時代の特色を多くもっていると思う。社会的な境遇から云っても、寺田氏にあっては好きな勉強の主な一つとして科学が選ばれている。氏の文章をよむと、科学的なもの、文学的なもの、絵画的なものが一箇の能才者の内部に綜合された諸要素として立ち現われて来ている。寺田氏の科学的業績を云々する資格はもとよりないのであるけれども、文学的遺業について見ると、寺田氏がこの人生に向った角度にあらそわれぬ明治時代色があり、同時代の食うに困らなかった知識人の高級なディレッタンティズムが漂っている
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