憤りの中にあらわれるかもしれないのである。自分は飽食し、安穏に良人と召使とにかしずかれ、眉をかいた細君が、一種の自己陶酔の中で高々とうたい上げる祝詞《のりと》のような皇軍の歌のかげに、生きて、食っているもののいいようのない脂のこさ、残酷さを感じる心は、決して銃後の女のまじめさと心やさしさに反するものではない。
 女のやさしさというものも、愛の感情がそうであるとおり、抽象的なものではなく現実の内容を持ったものである。日本の女がこれまでの社会の歴史から負わされているさまざまの微妙な荷は、きょう決して雲散霧消しているのではない。そのものはあるいは新聞紙上によみがえり闊歩している徳川時代の形容詞とともに、かえって強まっているかもしれない。ある役所にタイピストが十何人か働いていた。戦争と共に、戦争に関係のふかいその役所では仕事が非常にいそがしくなって来た。それと同時に、この非常時に女が洋装をしていることは望ましくない。和服で通勤せよ、ということになった。それは真夏のことであった。タイピストたちは、今年はことに激しかった猛暑の中で大汗になり、袂を肩へかつぎあげて、残業で働いている。そういう話をきい
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