、とくに一九四五年八月以後の女学生には想像も出来ないような苦しさがあった。それも、ごく些末なことについて。髪の形とか、顔の化粧とか、襷の色と幅とその結びかたについてとか。小さいことごとに、大きな重い感情がきつく示され、そのことでまで稚い心はいためられた。よしんば、そのことがわたし自身にかかわったことでなくても。
大人の女と少女の感情の間のくいちがいは家庭の内にもある。学校生活の中にもある。そしてそれは文学のテーマとなっている。そこで少年が主人公ではあるが有名なルナールの「にんじん」をはじめとして。
きょう、そういう心理的な問題については、一般的にある程度は理解されている。女性にも一人一人の性格がある、ということを認めていると同じように。三十年という歳月は、ほんとに意味なく経過したのではなかった。
わたしは何となくいつも心に苦しさのある生徒だったが、卒業してからは、謝恩的な感情に支配されるのが普通とされている卒業生の雰囲気にとって、一つのとげ[#「とげ」に傍点]のような存在となってしまった。わたしは一度ならず、女学校時代の思い出の痛苦をかいたから。そしてそれはまざまざと書かれた。
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