よ、ね!」
 必ずしも、男の子は汽車で女の子は向日葵とは先生の方から大人の類型できめてくれるのではない。
 字のかわりに絵が当分は規則の合いじるしだ。
 五つ、六つの組では、もうそろそろソヴェト市民の自治がはじまる。――組の当番が出来て、たとえば食事前手を洗う。それを本当にチャンと洗ったか洗わないか、姆母さんだけが一人一人つらまえて「さあ見せて御覧なさい」とばかりは云わない。
「さあ、子供たち、手を洗って御飯ですよ!」
 ドッと手洗場へ、めいめいの手拭いをもってかけつける。
「洗えましたか? 当番さん、見てやって頂戴!」
 一列にみんな並んで、しかつめらしい当番の前へ両手をさしのばしながら順ぐり通りすぎる。当番のアーニャ自身、どれがキレイで、どれがキタナイか、こうして又見わけかたを覚えようというものだ。
 そのほか、植木の世話をする(水をやること)当番、みんなで飼っている鮒《ふな》の世話をする当番、男の子、女の子の区別はない。
 お昼は托児所の台所でこしらえた温いスープとか粥とか、牛乳その他をたべるのだが、六つぐらいの組は、食堂のテーブルへスプーンを並べたり、アルミニュームの鉢を並べた
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