よ、ね!」
 必ずしも、男の子は汽車で女の子は向日葵とは先生の方から大人の類型できめてくれるのではない。
 字のかわりに絵が当分は規則の合いじるしだ。
 五つ、六つの組では、もうそろそろソヴェト市民の自治がはじまる。――組の当番が出来て、たとえば食事前手を洗う。それを本当にチャンと洗ったか洗わないか、姆母さんだけが一人一人つらまえて「さあ見せて御覧なさい」とばかりは云わない。
「さあ、子供たち、手を洗って御飯ですよ!」
 ドッと手洗場へ、めいめいの手拭いをもってかけつける。
「洗えましたか? 当番さん、見てやって頂戴!」
 一列にみんな並んで、しかつめらしい当番の前へ両手をさしのばしながら順ぐり通りすぎる。当番のアーニャ自身、どれがキレイで、どれがキタナイか、こうして又見わけかたを覚えようというものだ。
 そのほか、植木の世話をする(水をやること)当番、みんなで飼っている鮒《ふな》の世話をする当番、男の子、女の子の区別はない。
 お昼は托児所の台所でこしらえた温いスープとか粥とか、牛乳その他をたべるのだが、六つぐらいの組は、食堂のテーブルへスプーンを並べたり、アルミニュームの鉢を並べたりする役もするようになる。

        小学校では――

 一つ机に男の子と女の子とが並んで勉強する。
 われわれの小学校は大体背丈の順で並んだが、ソヴェト同盟の小学校では、一つ机を二人でつかう時には、学期のはじめ教師が自由に一緒に坐る対手をきめさせる。
「ミーシャ、また一緒に坐ろうね」
「ウン」
 だが、教師オリガは、先学期もミーシャとダーシャが並んでいたのを知っている。そこで
「ダーシャ、こんどは暫くグレゴリーと並んで見ないかい? ミーシャと並びたがってたナターシャと代っちゃどうだい?」
 ダーシャは一寸ふくれて、ジロリとミーシャの方を眺めるが、ミーシャはぼんやり鼻の穴をふくらがして鉛筆を削っている。そこで、ダーシャは渋々ながら
「じゃそうします」
 馴れて見ればグレゴリーだってミーシャよりいやだっていうこともないのがダーシャにわかる。数日たって教師が
「ダーシャ、座の心地はどう?」
 ときくと、ダーシャはませた表情で
「|何ともありません《ニーチェヴォ》」
「そりゃよかったね!」
 然し、こんなこともある。
 几帳面で、級の衛生委員をやっているアリョーシャが、いつまでも机の
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