の帰りなのだ。
産業別労働組合が共同資本で建てている新しい共同住宅には、きっとその第一階に托児所がある。けれども元からある家のどれにも托児所が附属しているとはきまっていないから、工場へつとめる夫婦は小さい子を工場の托児所へ、役所勤めの男女は区の托児所へ、いずれも朝勤めに出しなに、抱いたり手をひいたりして連れて行く。
八時間働いて退けしなに親たちは托児所へより、それからめいめいの坊やと帰途を充分楽しみながら家へかえってさて夕飯ということになっているのだ。
話の例としてひとつ「赤い糸紡織工場」の托児所をのぞいて見よう。(ここには七百人からの婦人労働者がいる。)
工場を出て、鋪道を半丁ほど来ると、ロシアらしい木の柵にかこまれ、白樺が庭に生えた煉瓦だての小ざっぱりした建物がある。
トントンとのぼる石段の入口が二つある。一つには「乳児入口」、もう一つには「学齢以前児童」と札が出ている。
入って行くと、白い上っぱりを着て、頭も白い布《プラトーク》でつつんだ姆母さんが出て来る。お客にも白い上っぱりを着せ、それから始めて内部を案内してくれる。托児所はキット一人の小児科医と数人の姆母さんと炊事掃除がかりとで構成されている。
連れて来た赤坊たちは、まず第一の室ですっかり着ているものをぬがされ、互にまだ性別のない体をあどけなく眺めあいながら、体重を計られ、検温され、やがてすっかり托児所そなえつけの衣服をきせられる。
赤坊たちは、未来の闘士も婦人技術家もズラリと並んだ白い小さい寝台におさまり、夏なら白樺の木かげで、臍まで日光浴をしながら、三時間おきに、二十分間ずつ乳をのませに職場からやって来るおふくろ[#「おふくろ」に傍点]の胸に熱烈な生活力で吸いつくというわけだ。
学齢前の子供たちの室は、なかなか見ものだ。
床から二尺というところに手拭、歯ブラシ、アルミニュームのコップがキチンとぶら下っている。が、どれが金毛のイ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンので、どれがみそっぱのターシャのかという区別をつけるために、それぞれの釘の上へ一枚ずつ絵がはりつけてある。
猫。犬。鶏。牛の家畜類から、ロシアではみんなその種《たね》を食う向日葵の大きい黄色い花。飛行機、汽車、電車に自動車までがかかれ、小さい男女の子供は自分のこのみで、自分の絵をきめる。
「僕、これ!」
「あたち、これ
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