三年たって、これらの婦人と子供たちの生存の問題は、それぞれに深刻である。一年二年をどうやら経て来て三年めに、のっぴきならず、さし迫った経済困難、したがって母子の全存在の不安がある。昨今人々の耳目をゆるがしている牛込の産婆の嬰児殺しも、この未解決な社会問題にからんでいる。民主主義保育連盟が子供の生きてゆける場所[#「生きてゆける場所」に傍点]の建設について、具体的に動こうとしはじめていることの必然が、はっきりここに示されている。
 暮から東京裁判はA級被告東條英機の公判に入った。ところがこの頃、わたしたちは、電車の中で折々どういう言葉をきくだろう。さすが東條だ、という声がある。えらい、と云われている声さえある。新聞は東條に再び人気が出たと書いている。これは、私たち婦人に息をのませるほどおろどくべき事実である。戦争責任追及の公判で、却って東條に人気が出たなどということは、ヨーロッパのどの国にもない例である。日本が負けたのだけがわるくて、戦争したことそのものはわるくなかったというような考えかたが復活し、通用するとしたら、今日生きることさえむずかしく苦しんでいる日本の数百万の父なき子と母とは、
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