調味料をほしい。物価が安くなってほしい。読みものがほしい。家を建ててほしい。家の中を楽しいところにしたい。そして、母がいればよい、という希望が答えられてあるのをみたとき、私たちの心は、おのずからその母という字を父という字におきかえます。父がいればよい、と思っている子と母は、いまの日本に余り多勢です。お母さんがたは、子供たちの希望がこんなにそっくりそのまま、母であり主婦である御自分たちの希望と一致していることに、おどろきになりはしないでしょうか。
子供たちの課目のなかに社会科が出来たということは、子供と先生とだけのことではありません。学校を、町を、家庭を、すこしでも住みよいところにするためには、お母さんがたの力量が待たれています。子供たちと母親たちとが協力して、住んでいる町にたった一つ、子供の遊び場がこしらえられないでしょうか。家庭をたのしいところとしたいという子供の希望について、親たちが互の暮しぶりをうちあけて研究しあうことは無意味でしょうか。
読みものがほしい子供たちのために、このごろポツポツ出来はじめた婦人と子供の図書館の利用法を考えてゆくのは無駄でしょうか。
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