いう旧い方法しかもちあわさないというわけでしょうか。
 しかし、この反面には面白いことが一つあります。それは、ためしに、そういうしごき姿の娘さんの一人に向ってこうきいたら、その返事はどうでしょう。
 もしもしお嬢さん、大変古風なおこのみですが、あなたの御盛装が意味しているとおり、民法が昔にかえって、婦人の地位を男子に隷属したものに戻すとしたら、どうお思いでしょうか、と。きかれた娘さんは、きっとしごき[#「しごき」に傍点]の房をはげしくゆるがして、そんなこと、ひどいわ、とおこるでしょう。こんななり[#「なり」に傍点]と、そういう真面目な問題とは別です。それを、わざと一緒にしてもち出すなんて、意地わるね、と。
 古いものはあちこちにのこっているにしても、日本の女性は、もう昔どおりの古さではないのです。
 この面白い矛盾のなかに、ことしの、わたしたちのおめでとう、の種《たね》がひそんでいると思います。たしかに、どこからか仕合せがもたらされて来るのを待っているという意味での、のぞんでいるという形での希望は、去年、おととしで、きれいにうちくだかれました。
 幸福を待っていても、それがもたらされな
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