いう旧い方法しかもちあわさないというわけでしょうか。
 しかし、この反面には面白いことが一つあります。それは、ためしに、そういうしごき姿の娘さんの一人に向ってこうきいたら、その返事はどうでしょう。
 もしもしお嬢さん、大変古風なおこのみですが、あなたの御盛装が意味しているとおり、民法が昔にかえって、婦人の地位を男子に隷属したものに戻すとしたら、どうお思いでしょうか、と。きかれた娘さんは、きっとしごき[#「しごき」に傍点]の房をはげしくゆるがして、そんなこと、ひどいわ、とおこるでしょう。こんななり[#「なり」に傍点]と、そういう真面目な問題とは別です。それを、わざと一緒にしてもち出すなんて、意地わるね、と。
 古いものはあちこちにのこっているにしても、日本の女性は、もう昔どおりの古さではないのです。
 この面白い矛盾のなかに、ことしの、わたしたちのおめでとう、の種《たね》がひそんでいると思います。たしかに、どこからか仕合せがもたらされて来るのを待っているという意味での、のぞんでいるという形での希望は、去年、おととしで、きれいにうちくだかれました。
 幸福を待っていても、それがもたらされないとわかったとき、わたしたちのすることは、たった一つしかのこっておりません。それは、待っていても当のない幸福なんか待たずに、どんな小さいものでも、自分たちでつくり出してゆけるよりよいもの[#「よりよいもの」に傍点]を確実に実現してゆこうとする決心です。

 ことしこそ、婦人の生活のあらゆる場面で、この決心が新しく自覚される年だと思いますが、みなさまの御気もちはどんなでしょう。もう、これ以上ひどくなっては、やりきれない。実際だれでも、そこまで来ました。
 たとえば、どこのお母さんでも、お子さんの学校の問題には頭をなやましておいでです。六・三制になって、校舎がない、教科書が足りない、という声は三年越しです。小学校の課目に社会科という科が出来ました。社会科の時間に、子供たちの輿論調査が行われました。学校生活で一番希望されていることは、学用品・運動靴の配給や、給食をもっとほしい、ということです、子供達が住んでいる町にのぞんでいる第一のことは、遊ぶところをつくってほしい、というねがいです。物をもっとやすくしてほしいという答もあります。家庭生活では、先ず米を沢山配給してもらいたい、が筆頭で、燃料・
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング