られてある。
そして、恋愛の歌の如何にも尠いこと、親として子を思う歌に父親としての歌の増大していること、又子が親を憐んで詠んでいる歌の多いことも、現代の実相をつたえる傾向としてあげられている。
次ぎに目に着くことは、幼い児を持っている若い妻の死を悲しむ歌が、いかに多いかということである。悲しみと困惑とに浸されている父親の歌は、意外に感ずるほどに多い。それに較べると、若くして夫を喪った妻の歌は少いものである。そういう事柄がなくはないであろうと思われるが、その種の歌は少い。
いたましいことであって、意外に感ぜずにはいられないほど多いのは、呼吸器病患者の歌である。不治を覚悟しての床上で詠んだ、複雑な、又徹底した、その人のその境地を外にしては詠めないと思われる歌が実に多い。
更にいたましいのは、全生病院の患者の歌である。中には、事と心と相伴って、沈痛な、深刻な、全く他には見られない歌がある。
文学がその本質としていかに現実を雄弁に語らざるを得ないものであるかという動かしがたい実例を、ここにも私たちは見るのである。
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(
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