、一般の通念を、官吏、軍人、実業家とのみ限定することは困難である。人は、貧しき大人、苦しき大人、得意ならざる大人の現実の存在を念頭に泛べざるを得ない。古来文学は、まことに心かなしきものの友であったのであるから。――
 文学における日本的なるものの主観的な横溢の流行は、フランスから帰朝してその第一作「厨房日記」を発表した横光氏の作品が拍車となって作用した。常にN・R・Fのかげを負うて来ているこの作者が、「紋章」では日本の精神の緊張、高邁さの一典型として茶道を礼讚した。その気の張りさえも「厨房日記」では棄てている姿は、当時、翻訳紹介されたジイドのソヴェト旅行記にある反現実的な態度と微妙に日本の空気の裡で結びつき、反欧州文学思潮の流れを太くした。
 ジイドは、ミドルトン・マリの評によれば「ほとんど取るに足らない本質的な業績を基礎として、しかも彼のようにヨーロッパ的人物となった作家は蓋し異例と云うべきであろう」ところの作家である。ジイドの箇人主義は、それが日本へも移植されたフェルナンデスの主張する行動のヒューマニズムの文学が要求するニイチェ的な意味での全的なる箇としての箇人主義であることは周知
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