は日本の社会が近代社会として国際的に一位を占めるために努力して来た量と等しい精神の量において、近代社会の市民としての人間性の自主、我の自覚への努力がされて来ている。経済・政治の専門家が条約改正のために尽瘁し、ちょん髷を剪《き》らせ、廃藩を行った、そのことが文化の面では、長いものには巻かれろ式な戯作文学の伝統と近代精神との入りくんだ摩擦に導いたのである。
社会的現実の各面に、今日この摩擦がより発展した形に於て高まるとも低まっていないからこそヒューマニズムの声が起ったのである。この時期に、文化・文学の辿って来た歴史の伝統の刻み目の内容を着実に含味しようとせず、空に飛行機を舞わせつつ、文学精神の面においてだけは青丹よし寧楽《なら》の都数千年の過去にたちかえらんとしても、幻を喰って生きていられるだけの余裕に立ってそれを主唱している少数の人々以外には、深き困惑に陥るのである。
この常識から見れば奇妙な偏りをもった古典文学謳歌の傾向が、ともかく自身のために語り得る場処をもち得ているという可能の条件に就て、自明な情勢はもとよりのこととして、更に文化の面から考察が進められなければなるまいと思う。ア
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