ものを最初に抽象してしまい、益々それは「主観の高揚」や「理論への情熱」という方向へ発展させられて行ってしまっているのであるから、そのように論じ、執筆することそのことが既に職場であり職業である者以外の大多数の人々にとっては、自分たちの間では謂わばヒューマニズム論を論ずるに止り、自分たちの境遇の実際で主観を高揚させ、理論への情熱を高めようとしても、具体的解決のありようなさが一層身にしみて来るという実情である。日常の経済生活の逼迫とそのような精神的よりどころなさとは、落付いて本を読む気持さえも削いで行くかに見えたのである。
ヒューマニズムの提唱が、その意識的、或は論者の社会的所属によって生じている矛盾の無意識な反映として内包していた誤れる抽象性によって、或る意味で文化の分裂を早める力となったことは、実に再三、再四の反省を促す点であろうと思われる。
文化一般における上述のような意味深長な亀裂は、翌一九三七年に独特な展開を示すものとなったが、このことは当時文学の面に複雑な角度をもって投影した。純文学の行き詰りが感じられ、私小説からの脱出が望まれているのは前年来のことであるが、その脱出の方法が
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