、社会情勢の推移と共に一層深刻に拡大されて来た。ヒューマニズムを日夜論じる当代日本の職業的知識代表者と、一般の勤労的知識人との間に、その形は極めて捕捉しがたい、だがはっきりと感じられる生活気分の疎隔がヒューマニズムの論をめぐっていつしか生じはじめたのであった。
「知識階級は飽くまで知識階級として」自己の性能を発揮するこそヒューマニズムであるとする論に、議論としては異議を認めなかった小市民知識人の大部分も、実際生活では自分たちのうけた知識人としての教養によって日々一定の時間に出勤し、或は労働し、同僚・上役との接触に揉まれ、技術上の問題、技術上の自己の創意性とそれを阻む諸事情を経験しつつある。かかる知識人の知識人である所以《ゆえん》は、単に技術だけを一定の時間売っている機械ではなくて、重役になる希望はない一サラリーマンとして、かかる現実に即しつつ、そこで何を生甲斐として見出し、自分もまがうかたなき人間の一人であるという尊厳をとり戻して行けるかという煩悶の故にこそ、彼の知識人的存在の面がヒューマニズムの問題へもとりついて行くのである。ところが、ヒューマニズムを紹介した人々は「知識階級」という
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