ながら新たなヒューマニズムの内容は、非人間的暴力に反対するという一般傾向において平面的に無差別につらなっているので、その推進力としての指導方向を不用としているかのようにうけとられた。従来のプロレタリア文学の精神は、今日誤りにおいて証明され指導力を失墜したという当時の否定的な観念とこの考えは、その誤りにおいて便宜よく膠着しあった。従来のプロレタリア文学は「公式的な階級動向理論に煩わされて、知識階級が自己を無視し、自己を否定し、自己を労働階級に隷属させ、融合させようとしたり」「客観的な批判もなく、自己の正しい検討もなかった」が、新たに行動主義文学によって唱えられている能動精神は「知識階級は飽くまで知識階級として」「知識階級それ自身の特性を自覚し、飽くまでそれ自身の能力の自覚にもとづいて立ち上っているもの」(引用、青野季吉氏「能動精神の擡頭について」)と理論づけられたのである。
舟橋聖一氏の作品「ダイヴィング」芹沢光治良氏「塩壺」等、いずれも能動精神を作品において具体化しようと試みられて、当時問題作とされたものであり、三田文学に連載中であった石坂洋次郎氏の「若い人」もやはりその作品のもつ行
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