今日の文学の展望
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)その頃|流行《はや》った
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その頃|流行《はや》った
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)文壇的※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ァキウム
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過去への瞥見
今日の日本文学のありようは、極めて複雑である。そのいりくんだ縦横のいきさつを明瞭に理解するために、私たちは一応過去にさかのぼって、この三四年来日本の文学が経て来た道のあらましを顧みることが便利であろうと思う。
既に知られているとおり、日本の一般的な社会情勢は昭和六年の秋、満州事変というものが起ってから万般非常に急速な変化を生じた。過去十年に亙って日本の民衆生活の歴史に深い意義をもって来た組織は根本的にこわれたし、プロレタリア文学運動も、昭和八年末には運動としてまとまった形態での活動力を喪ったのである。
左翼の歴史が何故そのように急な興隆と急な退潮とを余儀なくされているかということについて、詳細にここで触れる必要のないことであろうと思うが、これ等の重大な歴史の相貌は悉く、日本がヨーロッパよりおくれて、而も独自な事情のもとに近代社会として発展して来たという特別な条件に原因をおいている。プロレタリア文学の理論、創作方法の問題などが、若干直訳的であったことや、例えば弁証法的創作方法という提案の中には、世界観と創作方法との二つの問題が混同し同時的に提出されていたために、創作の現実にあたって作家を或る困惑に導いたような事実は、当時にあっては日本のプロレタリア文学の段階としてやむを得ぬことであった。同時に、それが当時の世界的なレベルでの到達点でもあったのである。
ところが、日々に進み拓けてゆく社会生活の全事情とそれにつれて、より周密に探求されてゆく文学理論の進歩につれて、日本以外の国では、これまで機械的な傾きで哲学と文学とが結びあわされていた創作方法の課題も飛躍的に発展した。創作方法における社会主義的リアリズムの提唱は、世界文学史の上に意味深い一時期を画したのであった。
社会主義的リアリズムが提唱されはじめたのは一九三二年であって、ソヴェト同盟では第一次の五ヵ年計画が終った社会を土台としており、日本では小林多喜二がこの翌年の二月に生命を失い、実に進歩的文化の全面に破壊的な困難が押しかかって来ている時であった。この事情の相異が、文学上のリアリズムの理解を日本においては様々に紛糾せしめる結果になった。プロレタリア文学団体が、過去の創作方法の弱点を理論的に客観的に究明する時間的ゆとり、人的条件を刻々失いつつある一方、各プロレタリア作家の日常的自由は激しく脅かされはじめていたので、新たな社会主義的リアリズムの提案は、それが他の国々で摂取され展開されたような過去の健全な進展としてよりも、日本では寧ろプロレタリア文学における小市民的要素のあるがままの状態での認容、インテリゲンツィアの技術上の優越というものの抽象的な再評価の要求によって歪んで受けいれられた。プロレタリア文学の分野にあった人々の或る部分は、新たなリアリズムの便宜的註解に拠って、従来のプロレタリア文学運動と対立し、その頃|流行《はや》った政治的偏向という言葉で批判しはじめたのである。
この時期に林房雄氏が出獄した。プロレタリア文学の仕事ではその誕生の時代から活動していた林氏は、出獄後、一つの大きい文壇的※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ァキウムとなって、内外の事情の錯綜と微妙な日常感情、作家的志望の感情にからんでよりどころを見失ったような状態にあった旧プロレタリア作家を吸いあつめ、文芸復興の叫びをあげた。林氏は、第三者から見れば自身もその成生にはあずかっていたことを見忘れ得ないプロレタリア文学の存在を、否定しはじめた。プロレタリア文学がその本質としてもっている現実の認識、芸術評価の問題等を蹴ちらして、作家は何でも作品さえ書いておればいいのだ。書きたいように、書きたいものを、さあ書いた、書いた! という勢であった。このことは、多数の作家に気分的につよく影響した。過去の文学運動のプラスとマイナスとに対する慎重な反省から目を逸らさせ、真面目な再吟味の根気を失わせられたことは、それらの作家たちが過去において率直に傾け示した自身の努力、人間的善意の価値に自信を失わせる結果となり、従って、プロレタリア文学運動の高揚と退潮とに至る多岐な数年間の経験から、将来の作家的成長のために学びとるべき貴重な多くのものを、却って一種の自嘲、軽蔑をもってやりすごした憾《うら》みがあ
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