落におかれているのがきょうの現実である、純文芸の雑誌の経営困難も単行本の売ゆきの減少もすべてそこに原因をおいている、須《すべから》くそのような文壇を解消せよと云うのである。
 以上のような論が、嘗て三年前に、何でも書け、作家は書けばよいのだ、化物じみた新進作家万歳という形で文芸復興を叫んだ人々によっておこされ、更に、その文学的存在をこれまで最も文学青年的層によって繋がれて来ている一群の作家・評論家によって支持された事実は、何と見るべきであろうか。
 成程最近の種々な文学賞の氾濫は、一層文学を愛好する青年を見えざる文壇というものの周囲につめかけさせ、そのことは現実に或る種の作家が、人間的にも文学的にも薄弱な少なからぬ若者に囲繞《いにょう》せられる結果をひき起している。それぞれの賞に関係する選者があることは、その選者である有力な作家と選されようと欲する文学志望者との間に、それぞれの作家の稟質を反映して様々の微妙な交渉をも生じている。だが、純文学が民衆の現実からはなれてしまったとしてその根本原因は、文学青年の咎でないことは自明である。謂わばそれらの賞によって文学を産む素地の萎縮を救い得るかのように考えた既成作家の文学観が問わるべきであろう。社会の現実の内で所謂知識階級と民衆との生活の游離が純文学を孤立化せしめた動機であることに疑ないのである。
 ヒューマニズムの問題において、飽くまで知識階級として独自の解決を見出そうとし、その不可能の企ての内で混迷しつづけて来ている多くの作家は、この文学の大衆化という再燃した課題に向っても、同じように民衆という語と作家という語とを内容的に全く固定して相対したものとし扱いつづけた。民衆にとってわかり易い文章を書かなければならない。民衆の感情にふれるところまで民衆の日常性の中へ下りて行って書かなければならない。そう主張するこれらの提唱をやや体系だてたものとして、谷川徹三氏の文化平衡論が現れた。日本の文化の歴史は、その社会的な背景の影響によってインテリゲンツィア、特に作家の持つ精神内容の高さと、夥しい制約を負うている民衆の文化水準との間に、甚しい距離が生じた。この不幸なわが文化の特徴が、今日文学と民衆とを切りはなしてしまっているのであるから、作家は、そのギャップを埋め、文化の平衡性を保つために努力しなければならぬとするのが、文化平衡論のあらましである。
 引続いて、文学と民衆、文学の大衆化の問題は、一九三七年の前半期に沢山の討論を招致したテーマであったが、ここに注目されなければならないのは、民衆というものを如何に見るか、という基本的な規定の点では、見解が四分五裂の観を呈したことである。明確に、現実の生活のありようがそれを示しているままに、大衆と一口に云っても内容は様々であって、文学に対しても大別進歩的要求をもつもの、保守的要素をもつものとあって、日常生活と云われる関係の内側でも大衆自身利害の対立や相異を有するものであり、相互関係が社会の全体の動きで動きつつあるものとしての民衆。そのどの部分に歴史の進みゆく重点を見るかという観かたに於て民衆の具体性はとりあげられなかった。知識階級という、あり得ぬ抽象中間階級を設定してヒューマニズム論をめぐる人々は、民衆を口にして、やはり、民衆を一箇の抽象名詞としてしまった。更に注目をひかれることは、この文学の大衆化動議においてそれ等の論者は民衆を抽象化しつつ、而も一方では現在の文化低度に固着せしめた条件で民衆を明白に、文化上の被与者として扱っている事実である。
 大衆という言葉の歴史における意味で、文学との関係をとりあげたのはプロレタリア文学であった。プロレタリア文学は、勤労者の広汎な生活を文学にうつしつつ、同時に、大衆そのものが内蔵している文化と文学との新たな発展力、その開花を前途に期待した。作家と読者との関係は単に需要者・供給者の関係ではない肉親的交流において見られたのであった。
 再び文学の大衆化が文壇に論ぜられるに当って、大衆の文化的発展の諸要因が無視されると共に、作家との関係では、作品の給与者、被給与者としての面が強調されていることは、実に時代を語っている。
 かようにして文学は批判精神などに要なき民衆の日常性に入らなければならないと云われる他方では、殆ど時と人とを同じくして、「大人の文学」という提案がされた。従来の文学青年的な純文学、神経質、非実行的、詮索ずきな作家気質をすてて、非常時日本の前線に活躍する官吏、軍人、実業家たちの生活が描かれなければならず、それ等の人々に愛読されるに足る小説が生れなければならないとする論である。「大人」という言葉も、文学青年的なものに対比して出されたのであろうが、そのものにおいて多分の文学青年ぽさを印象づける。大人の文学と云う場合
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