衆生活の内に齎《もた》らされた知性(知識人となっている主人公によって)を、それによってより光明的な方向に生活を押しすすめて行くべき原動力としての関係において描かず、周囲の自然発生的な、所謂庶民的なものを批判なく受けうつそうとする受動的な物わかりよさ、素直さ[#「素直さ」に傍点]として扱われているところに、時代的な特徴が語られていたのである。
中野重治氏「一つの小さい記録」「小説の書けぬ小説家」窪川稲子氏「くれない」等はかかる情勢の裡にあって、日常生活の様相においてさえも新たな一つの歴史の段階に入らんとしつつある階級人のそれぞれの苦痛の姿を語った。藤森成吉氏の戯曲「火」は脱獄後の長英と親友鈴木春山とが描かれ、「三十年」は昨年の同じ作者による「シーボルト夜話」の続篇として書かれた。貴司山治氏の戯曲「洋学年代記」には、学者としての良心と達識とのために国法にふれた幕末蘭学者の一群と間宮林蔵の運命とが扱われた。村山知義氏は「或るコロニーの歴史」に朝鮮人の生活を描き又「獣神」にこの作者独特のエネルギーと不思議な内部の分裂矛盾を示した。
この年六月十八日にマクシム・ゴーリキイがその多彩多産な六十八年の生涯をモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で終ったことは、世界に少なからぬ感動をつたえた。ゴーリキイをしてしかく人類的な光彩ある活動と、才能の満開とを可能ならしめた社会の文化的条件を想い、翻ってその招来のためにゴーリキイが作家的出発の当初から共に労して来た歴史の推進力との相互的関係に思い潜めて、それぞれの国における歴史と文化との季節について考えたのは、ただ深い泥濘の中を歩いている日本の作家のみではなかったであろう。
十七年振りでアメリカから帰朝した佐藤俊子氏が、十七年留守をしていたということから生じた却って一種の清純さ、若々しさでアメリカにおける日本移民、第二世の生活を「小さき歩み」に進歩的な目で描いたのは興味あることであった。
国際ペンクラブ第十四回大会は、この年九月五日から十日間、アルゼンチン首府、ブェノスアイレスに開催され、日本からはじめて島崎藤村、有島生馬の二氏が代表として出席した。大会は、国際事情の複雑な背景を負うた。同じ六月ロンドンで第二回会議を持った国際文化擁護国際作家会議は、各国文化を脅しつつある「反合理的・反科学的エモーショナリズム」への抗議と、人間的な共同精神を失って専門化・瑣末化しすぎた現代学究への健康性の要求として、フランス支部から提出された新国際百科辞典の編輯を決定し、三ヵ年無裁判で投獄されていたドイツのオシツキイをノオベル平和賞の候補者として決定した。七月にはスペインにフランコ将軍の叛乱が起り、アンドレ・マルロオは政府軍の義勇軍に投じた。第十四回国際ペンクラブの大会は、会合地の関係もあって、英米ともに文学の現役を送らず、文学的には貧弱であったが、それにしても猶、日本から遙々出席した「夜明け前」の作者藤村は、深き様々の印象を与えられたらしい。一九四〇年の第十八回大会日本招致は、日本代表の努力によってオリムピック大会東京開催と年を同じくして決定された。
この決定に因《ちな》んで、日本ペン倶楽部は日本独自の立場を持つものであるが、同時に、「文学と文学者達との間に決議された事項は文学を主軸として解釈さるべきであって、それに不必要にして余計な拡張解釈を加えることは誤りに陥り易い」こと、民間性が重んじられるべきこと、文化の相互的理解を深める機会として大国の襟度の示さるべきこと、又、年を同じくして日本文化連盟主催の万国文化大会も開催される由であるが、これとペンクラブの大会とは「依立する主軸と意図に相違ある」こと等が、諸方面から明かにされたのは、極めて妥当なことであったと云える。(一九三七『文芸年鑑』)
今日の文学の諸経験
――明日の文学への流れ――
さて、遂に我々の前には、将に暮れようとしている一九三七年の頁が現れた。この一年間に生きられた文学の諸経験は、その質においてまことに深刻である。
前年の終りに近づいてから民衆本来の心の姿は、或る種の作家の主張する如く現実の生活に対する批判の精神などを必要としていないものであるという論の出現したことについては前に触れた。本年に入ってこの論は、純文学と民衆生活との懸隔という方向へ展開された。純文学の作品を、きょうの民衆の何人が読んでいるか。彼等は依然として浪花節を好んで講談本を読んでいるではないかという風に問題がおこされたのであった。
そして、これ等の論者の言に従えば、これまでの純文学は民衆の真にあるがままの生活に何等ふれるところがない。要するに文学青年どものもてあそびもので、作家は遂に文学青年目あてに技法の末技末節に拘泥した堕
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