為とその評価とに対して自主的な意志と目的の発動において人間が行為するだけ勇敢であるべきことを主張した。「先生」も「代助」もそのような自己の主張に立って生活を統一しようとしているために日露戦争後の世間の風潮にそむいて外見の不活動、低徊に生きた人物として立ち現れているのである。もとより漱石が旧道徳に対して新しき人間的モラルを主張した現実の姿が、彼の芸術の特徴をなした知的、行動的低徊に繋がれたことは、当時のインテリゲンツィアの一部が持っていた経済的・知的貴族性に制せられた結果として、今日自明なことである。
「幸福」の公荘は、壮年に達したばかりの年齢で既に生一本な情熱に動かされる感情を喪失し、しかも周囲の感情生活の諸相は或る程度あるがまま悪意なく理解する物わかりよさを持ち、常識は常識と知って習俗にさからわぬ躾をもって現れている。「先生」と「代助」が時代の制約の中ではあるが一定の主張をもち自らの戒律を持って生き、死にしたに対して、公荘は今日傍観する能力としてだけの範囲で知性を発動させる一典型としてあらわれているのを眺めることには、おのずから湧く感想なきを得ない。
知識階級というものを抽出してヒューマニズムの展開が期されたのであったが、その抽象的な存在の不可能なことは、元大学教授矢内原氏の知性が蒙った最近の経験に徴して明らかである。ヒューマニズムは我の社会的拡大を眼目としているのであるが、今日の現実は、我の強壮な拡大の代りに没我を便宜とする事情でさえある。日本文学の歴史は、社会全史の一部として新たな一時期に当面しているのである。
明日の日本文学は、果してどこからどのような色と形とで咲き出すものであろうか。これは愉しい予想であると同時に、その予想を人間文化にとって愉しいものたらしめるためには、少なからぬ年月に亙る芸術家たちの文学的堅忍と自己鍛練と生活への意欲とが翹望されなければならぬ問題である。明年度の文学が一躍、輝しき知慧の光と人間の愛に充満しようとは夢想だにされまい。文学はこれからうちつづく何年かの間、本質的には苦難を経、守勢をとり、萎靡した形をとるであろう。文学におけるヒューマニズムの問題、能動精神の提唱をした一部の作家が、今日ヒューメンなる何を主張し得ているかということについて、その無力化された有様だけを云々することは、綿々として人間生活と共につきぬ文学の問題の消長
前へ
次へ
全45ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング