実な努力は当然、可動的なインテリゲンツィアをして、その能動精神に最も意義ある方向を与えるよう尽されるべきであった。「知識階級は飽くまで知識階級として」その社会的良心を云々しようとすること並に、「人間性の全体的表現は行為的瞬間に直観的に認識される」と漠然規定して人間行為の社会関係を抽出してしまっていること等は、創作方法におけるリアリズムの理解にあたって、文学は文学そのものとして常に進歩的であるとするような非現実な見解と相合して、日本に流れ入った新しきヒューマニズムの文学的発展の根蔕をむしばむ内在的な要素であったのである。
不幸にも、当時ヒューマニズム、行動主義の文学及創作方法における右の如き弱き諸点に対して、発展の翹望に添えて正当な警告を提出し得たものは、既に兵を語るべからざる敗軍の将のように見られていたプロレタリア作家・評論家の二三の者であった。彼等の言葉、特に「知識階級は飽くまで知識階級として」現実の難関を打開しようとする行動主義文学の不可能性をつく提言は、公式主義、機械主義として迎えられた。而して、行動主義文学、能動精神の声は、単に、『文学界』の芸術至上的、抽象的風潮への解毒剤として一般に迎えられたばかりでなく、プロレタリア文学の公式主義[#「公式主義」に傍点]との中間に立って知識階級の文学[#「知識階級の文学」に傍点]を確立しようと欲するインテリゲンツィアの心持をつよく魅した本来の矛盾の姿のまま、時代の波瀾にもまれ、やがて矢継早な変転の道を辿らざるを得なかったのである。
プロレタリア文学団体は、この年の二月解消の余儀なきに至ったが、『文化集団』、ナウカ社から発行されていた『文学評論』等は、相当の活気をもって、大衆の生活から湧き上る文学的要求を満たす力を有していた。当時の微妙な情勢は、従来のプロレタリア文学の専門技術家の多数がその生活態度と文学との上に拠りどころを失って、批判の欠けた文学をつくり出し、所謂文壇の拍手の高低によって心持を左右されることの少くないようなのに対して、一般民衆の裡にあるプロレタリア文学の質的差異に関する判断は、素朴ながら或る意味での健康性を保っていた。然しながら、発展した内容と表現とで自分たちの生活、その希望と苦痛とを作品化してゆこうとする意志をもつ作家たちの間にも、例えば技術の問題などが、模索を伴い、評価のぐらつきを伴いながら考慮さ
前へ
次へ
全45ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング