争の後には漱石がそれ等に対して猛烈な反撥を示した成金が現れ、実業家も権力に加った。日本で文学の仕事に従った人が同時に時の権力の精神的、文化的指導者であったのは、極めて短い開化期の文化建設の時期に於てのみであって、明治文学が口語文の様式を堅めた頃は、既に文学者の生活は直接な政治経済の網目の中からは外へ押し出されてしまっていた。つまり「経国美談」や「雪中梅」の翻訳文学が一方にあり、福沢諭吉の新興ブルジョアジーの啓蒙者としての活動が重大な指針となった時代が去った後は、徳川末期の戯作者の気風、現実に対する無批判な妥協的態度が、西欧の文学的潮流の移植の側《かたわ》らにあって、常に日本の近代性の中に含まれている非近代的なものの姿を我々に示して来ている。このような形で残されている日本的なものの中の知的ならざる影は、今日のような作家の受動的気分の時期に案外にもゆるがせに出来ない退嬰性、無批判性となって甦っていることが認められる。近代日本が、政治経済に於て官製であったと同じように文化も官製の性質を持っており、明治中葉以後のインテリゲンツィアに依って作られた文学は、主として官製なるものに、或は過去の儒的な
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