う試みの限度に置かれたのであるが、この能動精神の主観的理解には、例えば肉体の慾望と精神の能動性とが現実の中で対立するもののような、精神が能動を欲することから、肉体の慾望にも従うというような観念的な観方も作品に反映しているのであった。イギリスの作家D・H・ローレンスの作品の紹介等もなされた。しかし、それはイギリスという国情、キリスト教の伝統、及ヨーロッパ戦争という諸条件の後に炭坑夫の息子ローレンスを生んだのであって、日本の自由主義と民主主義とを知らず、又一方に於てキリスト教の女性崇拝の伝統をも持たない社会の現実の中では、生活的にも文学的にも生新なものを生むことは不可能であった。
一九三五年以降のフランスの社会的事情の変遷、人民戦線の拡大等は、文化の上にヒューマニズムの提唱をもたらした。小松清氏等によってヒューマニズムの提唱は日本にも移された。日本に於けるヒューマニズムの紹介は、社会主義的リアリズムがかつてそのように扱われたと同じに紹介の抑々《そもそも》から紹介者の意志の方向を加えて説明された。ヒューマニズムは、あらゆる人間的なるものを抑圧する強権に抗することを、そして人間性の新たなる
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