関係で見られておらず、或る意味ではプロレタリア文学の運動が起らなかった以前のままの内容で作家は大衆を取上げているのである。このことはどうして起って来たのであろうか。五六年の歳月を過去に遡って、簡単に経過を眺めたいと思う。

 一九三二年以来日本では内外の事情によってプロレタリア文学が運動としての形態と機能とを失ったことは既に知られている通りである。左翼の運動は日本の資本主義社会の特殊な人工培養性に従って全く独得な歴史を持つものであるが、プロレタリア文学運動の消長もこの全体的な特徴に影響を受けている。客観的情勢が満州事件と同時に急転した。このことと団体に被った被害の甚大であったこと、他の一面には若いその運動が指導方針の中に持っていた未熟なものとが絡み合って、プロレタリア文学者達の間に分裂と動揺とを来した。折から、かつてはプロレタリア文学運動の主唱者の一人であった林房雄氏等から旺《さかん》に文芸復興の叫びがあげられた。
 この文芸復興の叫びには、プロレタリア文学の仕事に当時従っていた人々の中から呼応するものが現れたのみならず、ブルジョア文壇の数年来沈滞していた空気にも一味新鮮な刺戟を与えたように見えた。文芸復興は当時にあっては素朴な形で言われた。小説家は小説を書きさえすればよいのである。作家は作品が第一である。何を恐るるところがあろう。さあ諸君、今こそ諸君の才能を思うままに伸したがよい。そういう意味の強いて名づければ芸術の一般性を土台とした鼓舞が、プロレタリア文学運動が作家に課題として来た諸実践、創作方法を発展せしめるための努力、芸術評価の規準の客観的な確立等に対立するものとして、強調されたのであった。
 文芸復興の呼声は自身の創作方法としてリアリズムの提唱をしたのであった。しかしながら、その時期これらの人によって言われたリアリズムというものは、前後して日本にも紹介され始めた社会主義的リアリズムの理解とは性質を異にしていた。この人々の云うリアリズムとは、大体次のようなものであった。若しその作家が忠実に現実を描写するならば、現実そのものが含んでいる矛盾は必ず芸術作品に反映するものである。故に、作家は作家であれば足りるのであって特別な現実を観る眼、世界観等というものは不用である、作品は作品である限り進歩的な役割を自ら果すものであるという風な論がリアリズムについてなされた。このことに連関して、バルザックは王党派であったにも拘らず、プロレタリアの歴史的意味を正しく作品の中に反映していた、それは彼が傑れた芸術家であったからだという風に、簡単な反映論や無意識論が擡頭した。この傾向は、自然主義が日本に移植されてから、その社会的事情に従って次第に低俗な写実主義に陥って来ている文学の伝統と計らずも微妙な結合を遂げ、今日一部の作家に見られる些末的な、或は批判なき風俗小説を生むに至っている。散文精神という言葉はこれらの作家達によって言われているのであるが、ロマンティシズムに対する、又は常套的な詩的精神に対する現実の強調、勇気ある散文の精神を対置している意味は何人にも明かであるとして、現実と作家との関係を方向づけている上述のような理解は出来上った作品をよむ読者の胸に或る逸脱の危険を感ぜしめているのである。
 さて一方社会主義的リアリズムも当時の日本の事情によって必ずしも順調に理解されたとは言えなかった。社会主義的リアリズムは、日本に紹介されたと同時に、その基本的な点で極めて特徴的な転調をされた。ある一部の紹介者は社会主義的リアリズムをもって、芸術に於ける世界観の抹殺と小市民性、インテリゲンツィア性のあるがままの形での認容であると誤って理解した。これは全く正反対のものである。この誤解は、その半面に、さっきもそれについて触れた些末的写実主義の潮流とより添って流れたために、当時作家達が所謂自由になってのびのびと書き始めた諸作品は、要するに低調な日常茶飯的身辺小説、主観的な私小説の域を遠く出ることが出来なかったのであった。
 続いて作家と教養の問題が起った。これは、華やかなるべき文芸復興の芸術的内容の貧寒さからその打開策として言われて来たのであった。同じ頃古典の摂取ということが文壇でやかましく言われ、バルザック、スタンダール、ドストイェフスキー等が読み直され始めた。だがこの古典の摂取も作家の豊富さを増すためにはあまり役に立たなかった。それには理由があった。これらの作家達は既に文芸復興の声を挙げたと同時に、厳密な意味での評価の規準を我にも人にも否定し去っていたのであったから、古典を読むに当っても当然の結果として読む人々の作家的主観の傾向に準じて、謂わば鑑賞する態度に止まらざるを得ないのであったから、一般文学の創作力の豊饒化という、客観的な影響にまでその研究を高める
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