られているわけなのだが、作家としての特徴を生かすことを語っている徳永直氏の文章が具体的で、わかりよかった。
ほかのあれこれも読んでいるうちに、今日作家が書くこの種の文章に、一つの特色の現れていることに注意をひかれた。
『都新聞』の文芸欄に先頃二人ばかりの作家たちがやはり時局に対しての感想を載せたことがあった。あの時、或る作家の文章が、その部分を切って、名をかくして人に読ませたら、おそらく読まされた者は駅売りのパンフレットのような種類の文章の中の数行を読まされたのだと思うに相違ない文章の書きかたであったのを、つよく印象づけられている。
書いている事柄の客観的な実相をその作家がちゃんと理解していないとして、わからないままにもそれを云おうとする何かの意図があるなら、作家なのだからせめてはその人らしいものの云いよう、表現で書かれたらばと思われた。
これまで云いもしなかった社会部面について書くと、作家ABCは消滅して、啓蒙パンフレット屋がかく通りの用語、表現で作家が書きはじめるということは、過渡期のあらわれとしても、現代文学の明日への真実な成長のために、考えさせるところが少くないと思う。
前へ
次へ
全19ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング